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☆Tシャツの歴史☆
Tシャツの誕生
スポーツウェアとしてのTシャツの起源は約80年前に遡るといわれる。だが元々は男性下着として
使用されていたもいのが次第に、アート作品や政治的メッセージの代弁者、広告塔、
お洒落など様々な顔をもつようになったとされる。
第一次、第二次世界大戦後もまたTシャツブームの大きな引き金となる。
米国海軍から始まったTシャツは1939〜1945年の第二次世界大戦後すぐに米国陸軍の
公式肌着として採用された。
第一次世界大戦中に開発されたスポーツシャツ(ポロシャツのような、ボタンホールと短い袖。
伸縮性のある縫い縁)がシアーズ・ローバック社の通販カタログにて低価格で流通するようになり、1930年頃下着製造会社だったへインズ社(後に『フルーツ・オブ・ザ・ルーム』を世に送り出す)がそれを
コブ・シャツ(水兵シャツ)と名付けた。
1941年頃次の戦争に向けての準備を進めていた米国海軍はシアーズ・ローバック社デザインの元、
丸首で綿100%のTの形をした新しいタイプのシャツを用意した。
Tシャツは戦争などの極限状態ではタオル、防塵防煙マスク、帽子、必要であれば白旗と数多くの
目的を果たすことが出来る万能シャツとして着用された。
軍隊の象徴として見られるようになり、戦後は国家の要人から一般人まで社会の階層を問わず、
米国の解放をもたらす民主主義シンボルとして定着していった。
こうして現在我々のなじみ深い半袖Tシャツは1948年頃にスポーツやレジャーのために
デザインされたものがTシャツとして誕生した。

綿100%の着心地
Tシャツがここまで最もポピュラーな衣類となった要因には、『綿』との出会いが大きい。
綿は紀元前3000年ごろよりインダス川流域の住民に使用されて以来、全世界に広がっていった理想的素材だ。麻やリンネルにはない柔らかな肌触りでウールのようにこすれることもない。
吸汗性にも優れた天然素材であるこの綿は、20世紀初め米国が生産高世界一位であり、
必然的にTシャツ生産と結びついたのだった。

加工技術の発達
古くはステンシル印刷から、シルクスクリーン印刷が主流となり、さらに発泡・フロッキー・蓄光などのインクや艶出し紙なども充実し、ほとんどのプリント製品がこの方法となった。また熱圧着でプリントしたものを転写する熱転写プリントも盛んに行われ、現在ではDTP同様、パソコン上で作成したデザインデータを
そのままウェアにプリントできるまでになった。
誰でもが手軽にTシャツプリントを行える時代がやってきたこと、そしてそれらのチャレンジにTシャツという
素材が最も手軽で身近な存在だったことが今日のデザインTシャツやオリジナルTシャツの発展につながっている。

広告としてのTシャツ
60年代米国では大手企業のロゴなどをプリントした広告としてのTシャツが広まり、
その衣類は一種のコミュニケーションツールとなった。
70年代カウンターカルチャーに後押しされそういったロゴや大手の企業をもじった
パロディデザインのTシャツも出現した。
パロディTシャツは現在でもひとつのデザインジャンルとして愛好家達に楽しまれている。
それらは元々ひとつのメッセージ性を保つものであり、着る人の思想や所属までをも連想させる存在だったが、大量生産されることにより身近になっていく反面、軽薄な存在へと変わっていった。
企業広告Tシャツがユニークを手に入れたのだった。
その後様々な街や美術館、通りや大学、カフェなどありとあらゆるTシャツが作られるようになった。
そしてそれを着る人がどこを旅してきたかが一目でわかるような道具となる。
その中にグラフィックデザイナーのミルトン・グレイザーが「ビッグ・アップル」のイメージを広めるために1976年に制作した「アイ・ラブ・ニューヨーク」のロゴがある。
このシンプルなロゴはあっという間に米国の象徴となり、ありとあらゆる地域の
おみやげTシャツに影響を与えた。また世界貿易センタービルの崩壊後、星条旗とともにこのNYの
シンボルマークが人々を
大いに勇気づけたことは言うまでもない。

アートTシャツの出現
現代アートはTシャツによって大きく発展したといっても過言ではない。なぜならTシャツはポップアートが
「ポップ」であるがための絶好の表現材料だったからだ。
70年代アーティスト達はこぞってTシャツを作品発表の道具として使い始める。
カウンターカルチャーの寵児にしてアメリカン・アングラ・コミックの大巨匠ロバート・クラムが自分の描いた
ヒッピーのキャラクターをTシャツにプリントした。
その後80年代ではキース・ヘリングが自身のお店「ポップ・ショップ」をオープンし、
Tシャツをはじめとする雑貨などにオリジナルキャラクター作品をプリントし販売した。
そして90年代には村上隆も同じく日本のアニメやマンガをモチーフとしたオリジナルキャラクター作品を
Tシャツなどで販売することによりポップアートを継承した。
これら一連の流れはまたアンディ・ウォーホルのポートレート作品やポップアートの父、
ロイ・リキテンシュタインがコミックの分野をアートにまで引き上げた功績が大きい。
こうしてアーティストとTシャツは自然と手を組むことになり、美術館でも販売され、大きなマーケットとなる。
またTシャツはインスタレーションや視覚芸術の分野でも多く登場するようになった。
そして必然的にマーケットとアートという付加価値を得たTシャツは、ファッションブランド業界でも
彼らアーティスト達を起用することが新しい常識となっていった。

オリジナルファッションとして
Tシャツがモード界でベーシックアイテムとして登場したのは60年代のことだった。
当時Tシャツはストリートでも受け入れられ、クリスチャン・ディオール、ニナ・リッチ、ジャック・エイムなどを始めとする様々なデザイナーズブランドがTシャツを発表するようになっていった。
その一方で既製服メーカーも様々な色やデザインのTシャツを製造するようになった。
70年代前半ヒッピー達による「ラブ&ピース」運動や後半のパンクムーブメントなど、
自由を求める思想とTシャツが見事にマッチした。
それまでのメンズファッションとして捉えられていたTシャツを多くの女性達が着こなすようになった。
こういった流れの中でTシャツは多くのカラーやオリジナルデザインが作られるようになった。
80年代に入るとヴィヴィアン・ウエストウッドが、音楽や思想を背景にパンクファッションを確立し、
ロックアーティストなどもTシャツを自分たちのスタイルとして着用するようになる。
またスポーツウェアもストリートで受け入れられる一方でスーツ・ドレス・ワイシャツなど洗練された服も復活した。ブランドロゴの入った高価なTシャツが広まる一方でコピー商品が出回り、乱用やパロディなども生まれた。
90年代では80年代で興った様々な変化がうまく混合されてゆく。
それまで主にカジュアルとして着こなされていたTシャツが山本耀司やジョルジオ・アルマーニらが
スーツにTシャツを合わせるスタイルを提案し、ミニマル・ファッションが誕生した。
またこの頃環境問題やリサイクリングなどの関心も高まりTシャツにもオーガニック綿を利用したものが登場した。
そしてTシャツはカルバン・クラインやダナ・キャラン、ジョルジオ・アルマーニらの提案によってカジュアルフライデーの普及もあり、ビジネスの場でも許されるようになった。こうしてラグジュアリーTシャツとして数多くのデザイナーが自分たちの個性をこぞってコレクションで発表するようにまでなった。

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